フェルデンクライス・メソッドとは


していることがわかればやりたいことができる


 "When you know what you do - you can do what you want"
Moshe Feldenkrais
 これはフェルデンクライス博士の言葉です。彼の著書を読むと輝くようなとでも形容したい言葉が多くあります。しかし、私はこの言葉が一番好きでです。そして、フェルデンクライス・メソッドとのお付き合いもここから始まりました。
 床に横たわって身体をあずけ、呼吸を感じじてみると、「ああここが動いてる」「ここはなんで使っていないのだろう」などそれだけでもいろんなことに気がつきます。そんなことは、これまで必要も感じなかったことであり、意識さえしたことがありませんでした。
 私の先生の一人であるジェリー・カーズン氏は、このメソッドを
 「いつも右足からはいている靴下を左足からはいてみるようなもの」
というように表現しました。レッスンのさまざまな動きをとおして、自分の身体について気づいていくこと、自分のやっていることを感じること。簡単なことですが、やはり難しい。
 はじめて床で自分のわき腹のあたりが、かすかに床を押しているのを意識した時から、かなりの時間が経ち、今では前と違った部分が床を押しているようです。そして、明日はまた変わっているかもしれません。しかし、もっとも変わったのは、私の脳がより正確に自分のやっていることを感じていることです
 さっきの英文を訳すと「あなたが何をやっているかがわかれば、あなたのやりたいことができる」で良いのでしょうか。私はそのように受け取っています。
 自分自身のやっていること、そして教え始めてからは生徒の動きを見ながら、つくづく「人は自分のやっていること」を十分に把握しているわけではないことがわかりました。
 そして、この言葉のめざすところは、さまざまな優れた体術やトレーニング・メソッドのめざしているものとも共通していると考えています。
 ただ、今の私にとっては、「自分が何をやっているか」に気づく手段としてフェルデンクライス・メソッドが最適だと考えているのです。

 

フェルデンクライス・メソッド

Japan Feldenkrais Association 日本フェルデンクライス協会HPより 
(写真は第2回のティチャーズ養成コースのものをお借りしています)



フェルデンクライス メソッド について

○フェルデンクライス メソッドとは:

 創始者モーシェ・フェルデンクライス博士は、『心地よい体の動きが“脳”を刺激し活性化させる』ことを発見し、1940年代に一つの体系化されたメソッドとして確立。以来、ヨーロッパをはじめ北米・南米・オーストラリアへと広がり、その実績は教育・芸術・医療など幅広い分野で評価され、現在では日本を含め世界で活用されています。

 このメソッドは、身体に心地よい動き(呼吸や声、目や口、腕や脚、背骨や骨盤などの部分的或いは全身の動き)を通し、全身の骨格や筋肉がどのように連携して動いているのかを詳細に体験することで、脳を活性化し、神経系を通してより自然で質の高い動きと機能を身につけていく、学習のためのレッスンです。

 心地よい体の動きで活性化された脳は、これまでの身体の無駄な動きや力の使い方に気づきながら、如何にすれば余分な力を使わずに効率よく楽に動くかを学習します。その結果、心と身体の双方にわたって無駄な緊張が解きほぐされ、持てる能力を充分に発揮することが可能となります。


グループレッスン

アウェアネス・スルー・ムーブメント(ATM)
 動きを通した“気づき”

 グループレッスンは教師の言葉による指示によって自ら動いていくレッスンで、発育発達に関わるような動きや、日常生活の中にある動作や行為に基づいて構成されたものが多くを占めます。
 そのグループレッスンの主要な目的は、どんな行動でも、それをどのようにして行うかを、身体全体に注意を向け、意図したことをどのように身体全体で組織化し、出来るだけ自然に、不必要な力を使わないで、行動に移すかを詳細に体験することで、質の良い動きのパターンや機能を獲得してゆくことです。

個人レッスン

 ファンクショナル・インテグレ−ション(FI)
 教師と生徒1対1で行うレッスン

 個人レッスンはフェルデンクライス メソッドがおこなわれるもう一つのかたちで、機能的統合法と呼ばれるレッスンです。
 グループレッスンが主に言葉を用いて一連の動きを案内するように、教師が柔らかいタッチで動きを誘導し、豊富で機能的な動きに気づくことを促すことで、身体や動きをよりよく組織化する方法やヒントを学習していく特別仕様のレッスンです。

創始者:モーシェ・フェルデンクライスについて

1904年旧ロシア領ポーランドに生まれ、イスラエルで開拓者として肉体労働に従事。パリ・ソルボンヌ大学で工学・物理学の博士号を取得後、物理学博士としてジュリオ・キュリーの研究所で働く。

 スポーツの愛好家としても知られ、日本柔道の創始者としても名高い嘉納治五郎先生とも面識を得ている。西欧人として初めての黒帯取得者のひとりとなる。その後、フランス柔道クラブを創立し、フランス柔道連盟の会長を務めるなどスポーツ界にも尽力した。

 しかし、サッカーなどで膝を故障し、当時の医学では固定するしか対処のすべがないことを知り、どうしたら再びスポーツ活動が自由にできるかを、物理学をはじめ大脳・神経生理学、生理学、解剖学、心理学、精神医学、系統発生学、ヨーガ、柔道などを基に探求していった結果、現在のメソッドの基礎を確立し、再びスポーツ活動ができるようになる。
 そのことは周囲を驚かせ、教えを乞う人が次第に集まるようになり、1940年代に現在のメソッドとして確立した。 (1984年没)




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